「社内副業」の経験を進化させた結果、脱サラに至ったのは須東朋広氏(48)だ。須東氏は中央大学を卒業した91年、JTBに入社。8年近く修学旅行の営業を担当した。会社の人事評価システムに関心を持つようになり、自己投資で勉強を開始。ある時、上司に「社会人大学院に行きたい」と相談したら、「もっと稼ぐことを考えろ」と言われ、「大組織では一つの歯車でしかない」と感じ退社した。その後、夜学の社会人大学院に通い、修士号を取得した。
99年、再就職支援などの人材コンサル会社に転職。2年後、その会社が外資に売却されることになったため、パソナグループに転職した。本社の営業企画室を経て03年、任意団体である「日本CHO(チーフ・ヒューマンリソース・オフィサー)協会」を立ち上げ、事務局長に就任した。営利のための組織ではなく、人事部長をネットワークして会社変革時の人事部の役割などを議論する場として設立した。
「こうした活動を通じ、お客様に誠実な人でも組織では評価されないなどの実態も垣間見ることで世間を見る目を養った」と須東さんは振り返る。
雇用の仕組みなどをさらに学ぼうと10年、須東氏は法政大学の社会人大学院の博士課程に入った。そして11年には、調査研究やコンサルを行うインテリジェンスHITO総合研究所に転職。主席研究員として主に雇用問題を研究、働く個人に着目した雑誌も作った。
研究、執筆活動を続けているうちに、強く感じるようになったことがある。「日本の企業社会では、いつでもどこでも専門性に関係なく何でも、といった具合に会社の思いどおりに働くことが昇進の条件になっている。一方で子育てや介護など制約があって会社の思いどおりに働きにくい人も増えている。こうした環境下では専門性も活かしづらく、組織内で価値観の多様性が欠如する傾向にある。」。
こうした課題解決に取り組もうと、16年7月に同研究所を退社し、一般社団法人「組織内サイレントマイノリティ」を起業した。組織開発コンサルや研修を行うほか、組織内で声を出せない少数派の実態と本音を発信し、はたらく人がイキイキさせ、日本を元気にするための情報プラットホーム作りに取り組んでいる。
これまで須東氏は「副業」として本業とも関係が深い人材育成や雇用などをテーマに講演をしたり、大学で非常勤講師を引き受けたりしていた。「社外で人に教えたり、人前でしゃべったりすることで自分を見つめ直すことができ、それがモチベーションにもつながり、本業との相乗効果を生んできた」
また、起業には家庭の事情も影響している。「1歳3カ月の娘がいるので、70歳まで現役で働きたいと思っている。会社員としてあと10年くらいはやれても、その後組織に右往左往される人生は如何なものか。今のうちに70歳まで働ける基盤づくりをしておきたいと思い独立した」